株式会社フブキの角川です。
【結論から申し上げます。】
誤解を恐れずに言えば、2026年の現在、「手を動かして綺麗に作ること」の価値はゼロになりました。しかし、これは絶望ではありません。現代アートの巨匠たちは、AIが登場する遥か昔に「制作(Craft)」を他者や文脈に委ね、「概念(Concept)」のみで勝負する戦い方を確立しています。今、経営者に求められるのは、この「アーティストとしての思考の転換」です。
「自分で描かない」ことの正当性
「AIに描かせた絵は、果たして作品と呼べるのか?」
この議論は、ビジネスの現場でも頻出します。しかし、現代アートの世界では、この問いは30年前に決着がついています。
英国のアーティスト、ダミアン・ハースト(Damien Hirst)をご存知でしょうか。
彼の代表作の一つに、色の斑点を規則的に並べた「スポット・ペインティング」があります。世界中に存在しますが、そのほとんどは彼自身ではなく、彼が雇ったアシスタントたちが描いています。
ハーストはこう言い放ちました。
「私が描くよりも、彼らの方が上手い。私はすぐに飽きるし、仕上がりが汚くなるからね。重要なのは、そのコンセプトを設計することだ」
これは、現在のジェネレーティブAIと我々の関係そのものです。
AI(アシスタント)は、人間よりも正確に、文句も言わず、大量の「スポット」を描き続けます。経営者やDX担当者がやるべきは、Photoshopでピクセルをいじることではありません。「どのような配置でスポットを打つか(=事業戦略)」というコンセプトの設計に全リソースを注ぐことなのです。
「パクリ」ではなく「文脈の再定義」
もう一人、米国のリチャード・プリンス(Richard Prince)の視点も、これからのマーケティングに不可欠です。
彼は「アプロプリエーション(流用)」という手法の第一人者です。他人が撮影した広告写真や、Instagramの投稿をそのまま流用し、少しのトリミングやテキストを加えるだけで、自身の「作品」として高額で発表してきました。
「ただの盗用ではないか」という批判に対し、彼は**「文脈(コンテキスト)の移動」**こそが創造であると主張しました。
生成AIが出力する画像は、インターネット上の膨大なデータの「統計的な再構成」に過ぎません。言わば、究極のアプロプリエーションです。
ここで重要になるのは、出力された画像を「そのまま素材として使う(=パクリ)」のか、それとも**「御社のブランドという文脈の中に配置し直し、新たな意味を与える(=編集)」**のか、という違いです。
2026年のWeb戦略において、画像生成AIは「素材メーカー」に過ぎません。その素材に**「意味」という魂を吹き込めるのは、人間の編集者だけ**なのです。
フブキの視点:AI時代のアートディレクションとは
私たちフブキは、AIを「優秀だが自律性のないアシスタント」として扱います。
「作る」ことに固執しないでください。
「選ぶ」こと、そして「意味づけ」すること。
この**「高度な編集能力」**こそが、AI時代に残る唯一のクリエイティブ・ディレクションです。